ねごとの戯言

オモイをコトバに

「失敗は成功のもと」の真意

「実験には失敗が付き物だ」
とはよく言うものの、はなから「これは失敗だった」と決めつけるのでは、そこから先の良い考察は望めない。大事なことは、何故失敗したのか?と振り返ること。と、ここまではテンプレ。

科学の実験において、起きた現象は、起こした現象は、全て何らかの“原因”がある。

AをすればBが起きる(かもしれない)、という前提のもと実験を行い、起きなければ、はい失敗、という論理は性急すぎる。
失敗という一つの“結果”を、「ある原因によって起きた現象」と捉えることができれば、その先の発展につながるはずだ。

使用している器具に何らかの不具合があったかもしれない。
入れる試薬の量がコンマ何グラム違ったかもしれない。
単純な計算ミスかもしれない。
もともとそういう精度でしか測れない器具なのかもしれない。

結果的にそれらは「人為的なミス(ヒューマンエラー)」として認識されるかもしれない。でもまあ、それが一番あり得ることで。しかし、これも立派な原因と認識する方がよっぽど大事だと思う。

そもそも、ヒューマンエラーというのは現実世界において避けることはできない。コンピュータ以外で完璧に物事をこなすのは無理だ。
音楽の世界でも似たようなことが言える。

論文に書く場合、目的と結果に大きな相違があれば、本論で考察すべきかどうか迷うが、本論で述べなくとも課題として述べるべきだ。自分だけのミスだと放置すれば、後続の研究者(自分かもしれない)はまた同じミスを繰り返すことになる。ミスだと思うから、考えたくなくなる。
だが、そこに白羽の矢を立てよう。
考えることから逃げるな、と。
失敗ではなく、原因の果てに起きた、そういう現象。
原因を突き詰めれば、成功への布石になる。

ただし、考えることに固執して、立ち止まりすぎることもよくない。後回しの重要性も無視できない。こういうのを二律背反と言うんですか? 分かりません。

君が行ったことは無駄じゃなかったんだよ、という慰めにも聞こえるけど、結局のところ、どう捉えるかの問題なのかな。その辺りはまだ考えが及ばない。
「物事に失敗がないなら、成功もまたないじゃないか、はなたれ小僧」と言われたらぐうの音も出ない。